今、異次元を創ろう

現象学では、すべてを「主観」に還元します。
ようするに、自分の心に浮かび上がった世界として、世界を認識し直してみるんです。
世界は心の中に広がっていると。

これが中々むずかしい。
言ってる僕でも、世界は外にあるとしか思えない。

だったら、条件を見直してみよう。

心に広がっているのが世界だとする。
この世界は、僕の言葉で成立している。
つまり、僕の知らない言葉、想像もできない世界ではない。

だとすると、もとから知っていた基準でしか、判断できないことになる。

それはつまらない。
できれば、未来は想像もつかないほど豊かなものにしたい。
金銭的なことだけではなく、経験値という意味でも。

ならば、過去の経験から得られた基準を破棄してみたらどうだろう?

痛みが足を止めるなら、痛みで足を止めることをやめよう。
限界を感じたら、更なる外を目指そう。
不可能を感じたら、「可能←→不可能」なんて小さな枠を設けることをやめよう。

そもそも、痛みとか、限界とか、不可能とかを、どうして実感したんだろう?

痛みは、過去の痛みを参照している。
傷ついた思い出や、誤魔化して心が痛んだこと。
それらを事実として受け入れるのはナンセンスだ。

限界はどうか?
限界も幻想にすぎない。
数学的には無限が証明されている。
だとすると、限界もナンセンスだ。

不可能はどうだろう?
これも、過去の経験をもとにしている。
最悪な妄想だ。

と、条件を洗い出してみると、なんと、過去ばかり参照していることがわかりました。

量子力学パラレルワールドというのは、選択の数だけ世界が存在するとか。
選択の瞬間に、異次元ができあがるんだとか。

異次元を創出するのに、過去を参照してどうする?
我ながら、ばかばかしい考え方をしていたものです。

 

 

死ぬことと見つけたり

ほんの150年前まで、日本には侍がいました。
いや、広義での侍は、いまもいると信じたい。
ですが、職業として、殿様に使える武士がいたんです。

侍と聞いて一番最初に思い出すのが、僕の場合は新渡戸稲造の「武士道」なんです。
次に、山本常朝の「葉隠

葉隠の中の
「武士道といふは、死ぬことと見つけたり
の一節は、あまりにも有名ですね。

彼が言いたかったのは、恐らく、「大儀」と「義」のために、命を差し出す覚悟があるということ。
それを持ち合わせているか?と問うこと。

ですが、今の時代にこの言葉を、どうとらえることができるでしょうか?

今もって、日本男児は侍であると信じたい僕から言わせると、
「どのような死を迎えるか?」
が問題であるということです。

今、僕らは「死」というものを、身近に感じていません。
いつ訪れるか分からない「死」を、リアルに感じることができないんです。
あるいは、気付かないように振る舞っているだけかもしれません。

誰にとっても「死」は、突然降りかかる事があります。
それは、自分のこともあるでしょうし、身近な誰かのことであるかもしれません。

そうなったときに、どういう態度でいられるか?
きたるべき「死」を、どのように受け入れるか?

それを考え抜くことで、後悔のない人生を送れるというものかな、と思っています。

今朝、子供に対して叱ったとする。
それが、自分のためなのか、相手のためなのか、簡単に誤魔化すこともできます。
でも、心はごまかせない。

「お父さんに怒られた。お父さんは、私のことが嫌いなのかもしれない」
これが、娘の最後の記憶になってしまったら、かわいそうでなりません。
これを与えたまま、僕が死んでしまったとしても、悔やまれるでしょう。

相手に誠意を尽くすというのは、この、「死」の覚悟がどうしても必要な気がします。

影響を与え、影響されるのが人間関係である以上、単に自分の気分だけで何かを与えることは出来ない気がします。

侍である以上、今、この時も、「死」は隣にあることを、忘れないように心がけたいものです。

 

 

『いい←→悪い』は『間違ってる』って・・・

僕はよく人から
「どうしてそんなに『いい←→悪い』を徹底的に排除できるの?」
って聞かれます。

当然、最初は意識してやってたんです。

「『いい←→悪い』なんか存在しないんだよ」
って言い聞かせてたわけです。

友人と話しているときも、
「お前は『いい←→悪い』ばっかり考えてるから、行動できないんだろう?」
なんて偉そうに言ってたもんです。

リフォームの現場にいる時も、
「『いい←→悪い』じゃない、自分がどういう結果を迎えたいかだ!」
なんていつも思っていました。

ある時、メンターと話していたら
「森川さん、『いい←→悪い』は要らないって言ってるでしょう?」
と言われました。

僕「へ?『いい←→悪い』なんかとっくに捨て去りましたけど・・・」
メンター「今僕に、『いい←→悪い』は間違ってるって言いましたよ」
僕「言いましたけど、それが何か?」
メンター「気がつきませんか?『間違ってる』って」
僕「あ!」

僕は、『いい←→悪い』を捨て去るってことの意味が、よく分かっていなかったんです。
だから、『いい←→悪い』が無いのが『正しい』と思い込んでいた。
『正しい←→間違っている』というのは、『いい←→悪い』に他ならないんです。

だから友人にも
「お前は間違っている」
という態度で、偉そうにしていたわけですね。

言葉では、『いい←→悪い』は無いと言いながら、『いい←→悪い』に分けて考えていたんです。

今思えば、『いい←→悪い』がないというのは、世界はわけ隔てがないということにも思えます。
わけ隔てているのは、まぎれもなく自分だと。
このとき、ようやくそれに気がついたんですね。

それからでしょうね。
『いい←→悪い』が本当に無いんだって思えるようになったのは。

 

 

前ちゃん邪魔すんなよ!

人にものを伝えるとき、完全にこちらの意図が伝わることって珍しいです。
いつも、半分ぐらいしか伝わらない気がします。

例えば、活字にしてしまうと、僕の文章って硬いんですけど、話してみるとそうでもないんですよ。
「あ、そんな感じだったんだ」
と思ってもらえるはずです。

これは、活字で見ている印象が作用しているわけですね。
その前提で僕と接するので、ギャップを感じるんです。

この、前提ってやつが曲者でね。
何かやる時、大抵邪魔しているのは、この前ちゃんなんです。

例えば、高校生の時、好きな異性に告白しようとしたことってありますか?

「俺、○○のこと好きなんだけど、お前どう思う?」
「え!マジで!?コクれば?」
「え~~でも、フラれちゃったら立ち直れるかな~~」
「なんだよ根性無し」
「根性無しじゃねえよ!じゃ、コクってやるよ!」
「お~言ったね!聞いたからな」
「わ、分かってるよ!」

ま、こんなんで告白されたら迷惑でしょうが、身に覚えがありますよ。
この段階が一番盛り上がるんだな。

で、告白する前に、
「フラれちゃったら」
って考えている。
この前ちゃんのおかげで、なかなか進めないわけでしょう?

告白する前なんか、思考がグッルグルですよ。
全然結論なんかでない。

当たり前なんですけど、アタックするまで結果なんかわからないんです。
でも、フラれちゃったら、つまり、自分を傷つける結果になったらどうしよう?
って考えているから、前進できませんよね。

日常で、「やらない」という結論に持っていきそうになったら、この前ちゃんが
「しめしめ」
ってほくそ笑んでますよ。

「お前、痛い思いしたくねえだろう?フラれちゃったら、大変な事になるぞ~」
ってイメージさせるわけです。
しかも、怖いことに、ハッキリイメージ出来るんですよ。そっちは。

「上手くいったら世界はバラ色だ~!」
って思える人は、すぐに告白できるんでしょうが、僕みたいな凡人には無理です。

あ、いましたね、前ちゃん。
「僕みたいな凡人」

気を付けたいな~

 

 

売れる営業マンの秘密を使おう!

昨日お伝えした「売れる営業マンの秘密3」。
あれは、営業に特化したものじゃないんですよね。

家族間であっても、友人同士で会っても、ビジネスシーンであっても、
自分の意図があって、その目的に合わせて、自分を見ていただく必要があるんです。
上辺だけ整えても、伝わるのは「意図」です。

例えば、僕とお客様の関係。
売り手と買い手を超えた、同じ目的を果たすための組み合わせだと思っています。

僕の目的は、リフォームを受注することですが、それの上位に「同じ目的を果たす意図」が来ます。
ですから、相いれない場合は、僕がお断りすることも当然ある訳です。

僕と娘の関係。
友達に近いですが背中を見せられるような父親でいたい。

お互いに、遠慮はないけれども、僕は、プライベートにはまったく口を出しません。
それどころか、娘の部屋に入ることがない。
それだけは、幼いころから徹底しています。
相手を「ひとりの人間」と思っていますからね。

そうしたら、いつの間にか下の娘も、
「人それぞれに事情があるんだよ」
とか、教えてもいないのに言うようになりました。

これは、自慢ではありません。
何を見せるか?が重要なんですって話です。
意図したことが伝わるんです。

恐ろしいことに、親になると、途端に
「自分が正しい」
と思うことがあります。

「相手が未熟」
とハナから思い込んでいるわけです。
だから、コントロールしようという意図を持つ。

それを相手に見せれば、当然、反発もあるでしょう。
意図が相手に伝わるんですよ。

子供が未熟だなんて、とんでもない誤解です。

僕自身は、子供から教わる事の方が多かった気がします。
上の娘にも、結局、何もしてやれなかった。
自分で積極的に、なんでもやる娘でしたので、勝手に大きくなった気さえします。

それより、何べん子供たちに助けられたか。

仕事がうまくいかなくて、家でヤケ酒を飲んでいても、子供たちの笑顔で癒されました。
人生を投げだしそうになった時も、彼女たちの寝顔が、目を覚まさせてくれました。

感謝しかない。

来世でも、ぜひ、僕の娘になってもらいたいものです。
あと何年、僕の娘でいてくれることか。

 

 

 

売れる営業マンの秘密3

おお!これが40号目なんですね。
よきかな。

それでは、特別な事をお話しますか。
メモのご用意はいいですか?

先日、売れる営業マンの秘密をお伝えしたところ、大変評判がよかった。
しかし、売れる営業マンの秘密2で

「何と言っても営業マンの凄いところは、一瞬で相手に信用してもらう力なんですよ。
これはまた別の人の口から語ってもらいますね。」
とお伝えしたまま、放置してありました。

ごめんなさい。

そこで、一級の営業マンからお話を聞きましたよ。

僕の友人に、青原君という営業マン兼セールスマネージャー兼起業家がいます。

彼は凄腕の営業マンなんですが、今日は、その彼から聞いた
「一瞬で相手に信用してもらう方法」
をお話します。

答えは
「ハンカチ」
です。

終わり。

 


嘘です。

ごめんなさい。


彼が言うには、
「見た目が全て」
だとか。

つまり、第一印象をどういうふうに見てもらうかをコントロールするんだそうです。

相手にどう見られたいか?

彼の場合は、
・礼儀正しく
・きちんとした会社
これらを合わせて
「安心感」
を与えているんだそうです。

当然、着ている服も、靴も、髪形も、重要な要素です。
お辞儀も深くするんだとか。
全て、安心感を与えられるよう、計算しているんですね。

最後に「ハンカチ」です。

彼は、一般家庭を訪問するとき、左手に綺麗なハンカチを持って行くそうなんです。
ハンカチを持っている人と持っていない人。

言うまでもない。
持っている人の方が綺麗な印象ですよ

なるほどねえ!と思わずうなっちゃいますよね。

彼は、これだけでも
「第一印象コンサルタント
になれると思うんですが、こんなのは、彼のコンテンツの、ほんのさわりなんですね。

本質は、こういった「やり方」ではなく、「あり方」の部分だからです。
今度、直接会う事があれば、納得してもらえると思いますよ。

 

 

ジャッジメントで変な事になる

概念っていうのは、言葉の意味のことだと思ってください。

例えば、四本足で、口と鼻がとがっていて、毛むくじゃらで、「ワン」と鳴き、舌を出す癖のある哺乳動物のことを、僕らは「犬」と呼んでいます。

今の、回りくどい説明の部分が概念ですね。
犬の共通項と言ってもいいでしょう。

で、概念ではなく「犬」の方。
こっちを「名辞」って言うんだそうです。

名辞っていうのは、単に名札のことですね。

面白いのは、
名辞が複数あり、概念が一つのものと、
概念が複数あり、名辞が一つのものがあります。

例えば「武士」
これは、「侍」とも呼ばれますね。
もっと古い言葉では「防人」とか言うんですよね。

どれも、武人(ぶじん)のことです。

「先生」と「教師」と「恩師」なんてのもありますね。

一方、
「円」というのは、
・日本の通貨単位
・丸
という概念を持っています。

そして、概念が二つ集まると、ジャッジメントとなります。
「犬」は「動物」であるとか、
「硬貨」は「金属製」であるとか、
「雨」は「不愉快」だとか、
「彼」は「豪快」だとか、

この、ジャッジメントに評価(感情)を入れてしまうと、誰にでも当てはまることではなくなってしまいます。
つまり、論理が破綻しているんですね。
その論理でいくら考えても、循環するか矛盾に陥るだけです。

しかも、このジャッジメント、正確であるとは言い難い。
「雨」は「愉快」な人だっているはずですからね。

実は、職人さんなどは、雨が降るとホッとするんです。
仕事がなくなりますからね。
3日続くと大変な事になっちゃいますが。

おっと、これもおかしなジャッジメントですね。