言葉の定義による限定性

昨日は、言葉のあいまいさは、世界のあいまいさという話をしました。

でもですよ、言葉についている意味をすべて定義し直すことなどできるはずもありません。

だから、せめて「言葉の意味はあいまいになっている」と自覚することで、あいまいな世界なんだと割り切れるし、完璧を求める必要もないってことだけは分かりますね。

ただ、今後は言葉の意味が気になっちゃうでしょうけどね(笑)


でも、すべての言葉に意味が付いたとすると、逆につまらないんです。


例えば、すべての人がすべての言葉を寸分たがわず同じ意味で使っていたとすると、議論は消滅しますよね。

ま、議論はさて置いて、言葉の意味が一つになるということは、誰もが同じ世界しか見れないということになります。


言葉が世界を作っているわけですからね。

さらに言うと、きちんと意味を持たせることで、その意味に限定されてしまうのです。


例えば、昨日の「問題」という言葉。

これに、「理想と現実のギャップ」という意味だけをあたえたとします。

「悪いこと」とか、「答えを導くための問い」という意味を外してしまうんです。

そうすると、クイズ番組で、「問題!」とか言えなくなるわけですよ。


だから、言葉で言葉を表現するときは、一貫性を得られて満足するだけでなく、この、限定性があることを意識して、縛られない自由さを残しておきたいですね。


正解はないわけですからね。