世界を限定することで助かっていること

前回、「言葉の限定性で、自由度が奪われてしまうんだよ」ってお話をしました。

言葉の意味があいまいであったり、人それぞれ意味が違ったり、イメージが違ったりするおかげで、見ている世界がまったく違い、それは、人々の多様性を作り出しています。

だから、みんなで共通の意味、イメージを持ってしまうと、世界はつまらないものになりそうですっていうお話でした。

可能性が広がらなくなっちゃうんです。


しかし今日は、「その限定性のおかげで、ものすごく助かっている」お話をします。


どこで助かっているのか?

それは、名前(呼び名)です。


例えば「犬」

この呼び名のおかげで、

「うちに、毛むくじゃらで、白と黒の15㎝ぐらいの毛が特徴的で、せわしなく走り回り、舌を出す癖があり、耳が大きく、尻尾を振る哺乳動物がいます。」と、Facebookに書かなくて済むわけです。

例えば「子供の名前」

「おい、俺の二番目の娘、かっこ13歳かっことじる、よ。」なんて呼ばなくて済むんです。
「お母さんの娘だもん」とか反発されそうです。


この、「名前(呼び名)」の力強い恩恵!


もう一つはネーミングです。


例えば、「サーファー」

かっこいいなあって響きありますよね?

これが「サーフィンマン」とか「波乗り族」とかだったらどうですか?

まったく憧れません。
むしろカッコ悪い。


「断捨離」

これなどは、見ただけで「なにか捨てるのかな?」って気がする。

「経営会議」

お!お偉方が何か話し合うんでしょうね。

ボトルネック

これがネックなんだよって使ってますよね?

ipad

ヒットしそうだもんね、名前から。


こうやって、意味をまとめて分かりやすくしてくれるっていう恩恵もあるんです。
最初の、「意味のあいまいさが世界のあいまいさ」につながりましたね。

特に、人々が集まるところで、このネーミングは効果を発揮します。


と、いうわけで、言葉の意味の一貫性と限定性を、適所に応用していきたいものですね。