「哲」の起源

「主観と客観は一致するのか?」
哲学がなぜ、そんな面倒な事を考え始めたんですかね?

別にいいじゃないですか。
他人が見たものがどういうものでも、この世界が現実と証明できなくても、なにも困らない。

日々、普通に、飲んで食って寝てりゃ、それでいいと思うんですよね。
なにカッコつけてんだよってなもんですよ。


実は、哲学って、最初は生活上の困難から生まれているんです。

科学もそう。

科学は哲学が発展したものですからね。


諸説ありますが、哲学は、小アジアのイオニア地方で生まれたそうです。

その地は、今で言うトルコとか、イスタンブールのあたりなんですが、東にアジア、西にヨーロッパ、南に中近東があり、交易の中心地でした。

そのころ、世界を表すものとしては、宗教しかなかったんですね。
だから、それぞれの国に神話があった。

小アジアの人々は、諸国から来る外国人に話を聞くわけです。

そうすると、みんな神様を持っているものの、みんな話が違い、自分の神様が正統だと言う。
それが発展すると宗教戦争ですよね。

「いや~まいったなあ。」
と思った彼らは、神話を外して、みんなが世界を共通認識できれば、争いも起きないだろうと考えたんです。


それで始まったのが、「世界とは何か?」「人間とは何か?」って問いなんですねえ。

カッコつけてたわけなじゃいわけです(ん?)


そうやって、何千年にも前に始まったことを、いまだに考えてるんですよ。
大学の先生が研究してるんです。

で、面白がってたら、僕もハマってしまった。

面白いですねえ。